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【NBA コラム】ビル・ラッセルからケビン・ガーネットへ。受け継がれるセルティックスの黒人選手の系譜

こんばんは!KDです。

今日の試合はみなさんご覧になりましたか?

ロケッツ対セルティックスの試合はプレーオフさながらの白熱した試合になりましたね。

結果はロケッツが1点差での逆転勝利を収めましたが、セルティックスのパフォーマンスもお見事でした。

試合のハイライトはここでみることができます↓↓

先月のアメリカでは「ブラックヒューマンヒストリーマンス」と呼ばれるアフリカ系アメリカ人を回想する月が定められています(イギリスでは10月)。

この記事では、NBAの歴史を振り返って見たいと思います。

セルティックスが黒人選手の歴史を変えた

NBA発足当初は、白人至上主義からスタートしました。まだ、人種差別が当たり前だった時代にボストン・セルティックスは1950年にチャッククーパーという選手を黒人選手として初めてドラフトしたチームになりました。

しかし、こう言った時代背景からセルティックスはNBAを大きく変えたチームとなりました。

前人未到の8連覇の中心選手になったラッセル

1956年にビル・ラッセルをドラフトで指名したことは有名な話ですが、当時の監督であったレッド・アワーバックが後に殿堂入りする2選手をトレードに出してラッセルを獲得したことに大きな反感を買ったようです。

しかし、1959〜66年にかけて8連覇を記録したのは有名な話ですが、その中心選手には

  • ビル・ラッセル
  • サンダース
  • KC・ジョーンズ
  • サム・ジョーンズ
  • ホワイル・ナウルズ

の5選手が在籍していました。

さらにセルティックスは1964年の12月26日に初めて黒人選手のみで構成された先発メンバーで試合に挑んだチームになりました(ホークスに97−84で勝利)。

ラッセルは史上初の黒人監督へ

セルティックスは1966年にアワーバックの退任に伴って、ビル・ラッセルが選手兼監督として黒人選手として初めてHCと務めた人物になりました。

彼は1966〜69年の3年間監督を務めて、2つの優勝と162勝83敗という成績を残しました。

多くの黒人選手が在籍し、活躍したことによってセルティックスは後に拡大する多くの黒人選手の基礎を築き上げたのです。

時は流れ、KGの加入で新たなリーダーが誕生

2007年夏にトレードでケビン・ガーネットを加えたセルティックスは、新たな時代を築くチームになりました。

KGがリーダーとしてチームの精神的な支柱となり、多くのチームメイトに多大な影響を与えた選手になりました。

KGはボストンに加入してからボストンの光景に目を疑ったそうです。

ボストンに来た時に自分に人種差別的な発言をする人がいなかった。白人、黒人、人種なんて関係なかった。市民全員が幸せで、試合について盛り上がる。ハイファイブをしたり、写真を撮ったり、人種の壁を感じなかった。

とKGは回想していました。やはり、時代が経つにつれて人種差別の壁が少しずつ取り払われていますが、まだまだ各地域では蔓延しているみたいですね。ボストンのアットホームな雰囲気にKGはとても素晴らしいと語っていました。

レガシーを受け継ぐ選手が今後はどんどん現れる

近年SNSの普及などによって、アスリートの発言力が強まってきました。その中でレブロン・ジェームズは「MORE THAN ATHLETE」という言葉で全世界に発信したことが話題になりました。

ラッセルの時代から受け継がれてきたレガシーは多くのところから発信されています。

いまだに根強い問題が残る人種差別問題。それがなくなるその日までずっと戦い続けるでしょう。

 

 

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