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【レブロン キャブス時代】レブロン・ジェームズが歩んだ華麗なるキャリアにフォーカス①

こんにちは!KDです。

昨日報道であったようにNBAのシーズンの再開は6月にずれ込むという話が入ってきました。それによってファイナルまで終了する日程が8月にずれ込むことから、東京オリンピックでは各国の代表はスター不在でのオリンピックになりそうです。

そうなった時に日本でのバスケット人気を東京五輪で画策していた目論みが崩れそうで残念です・・・・

ですが、気を取り直して今日から自分が注目するこの選手を知っていれば、バスケの話題についていける情報を提供したいと思います。

今日は、選手の紹介で、現在ロサンゼルス・レイカーズに所属するスーパースターであるレブロン・(KING)ジェームズについて紹介していきたいと思います。

レブロン・ジェームズの映えあるキャリアを振り返る

現在”KING”というニックネームを持っている通り、現役最強の選手であるレブロン。このニックネームは高校時代からついており、将来世界を背負って立つ逸材であったレブロン。そんな彼のキャリアは栄光だけではありません。

今日はそんなレブロンのキャリアを語っていきたいと思います。

スタッツ(キャリア17シーズン)(2020.3.17現在)

  • 得点:34,087(歴代3位)(平均27.1点)
  • リバウンド:9,353(平均7.4リバウンド)
  • アシスト:9,298(平均7.4アシスト)

レブロンは史上唯一の3万点、9000リバウンド、9000アシストを記録した選手になっています。

現在の年俸は

37,436,858$(約40億円)

で、現在のNBAでは6番目の高年俸選手です。

今日はキャリア初期のレブロンの功績について語っていきたいと思います。

2003−2010年 第1次キャブス時代

2003年にレブロンの地元であるクリーブランド・キャバリアーズ(以降キャブス)に指名されたレブロンは高校生から逸材として大きな注目を浴びていました。

すぐにNIKEとの大型のスポンサー契約を締結するなど(7年約90億円)、NBAでは1試合もプレーしていない選手でありながらも、スーパースター並の注目度を集めていました。

レブロンはそんな巨大なプレッシャーを恐れることなく、ルーキー時代から多くの最年少記録を塗り替えるなど、早くもオールスター選手としての地位を手に入れることになりました。

2004年には当時史上3人目の”20.5.5”を記録(平均20点、5リバウンド、5アシストを達成。)(以降タイリーク・エバンスとルカ・ドンチッチが達成)

2005年には史上最年少での50点試合を記録(VSラプターズ戦で56点を記録)。

2006年で史上最年少(21歳)でのオールスターゲームMVP

2007年には4年目のシーズンであるにも関わらず、ほぼ独力でチームをファイナルに導く。

2008年では得点王と北京五輪で金メダルを獲得

2009−10年では2年連続でシーズンMVPに輝くなど個人賞を総なめした7年間でした。(66勝、61勝を記録し、2年連続でリーグ最高勝率を記録)

圧倒的なパワーと身体能力を駆使した豪快なプレーが特徴だった

この時代のレブロンは身体能力を駆使したドライブから相手を吹き飛ばしてダンクをブチかます豪快なプレーが持ち味でした。ほぼ独力でファイナルへ導いたカンファレンスファイナルのピストンズ戦ではキャブス最後の25点をレブロンが1人で記録し、当時64勝を記録した強豪デトロイト・ピストンズを下しました。

さらにこの時期のレブロンは爆発力を持った選手だったので、一度調子乗ってしますと手が付けられない選手でした。

しかし目標であった優勝を手にすることができず・・・

個人賞をキャリア初期に総なめにしたレブロンですが、喉から手が出るほど欲しかった優勝を手にすることができませんでした。当時のキャブスはボストン・セルティックスの高い壁を乗り越えることができず、2008、2010年のプレーオフで2度敗退。

キャブスもレブロンの周りにシャキール・オニールモー・ウィリアムズアントワン・ジェイミソンといったオールスター選手を獲得し、大きな役割を担うことができる選手を獲得したものの、2007年以来のファイナル進出を果たすことができませんでした。

とにかく優勝がしたかったレブロンにとっては2010年でのプレーオフ敗退を受けて、この年のオフに大きな決断をして世界を狂乱させます。

番外編:レブロンのシグニチャーシューズ秘話

レブロンは現在もNIKEと契約していますが、NIKEはレブロンの将来的なスケールの大きさを期待し、ルーキーであるにも関わらずシグニチャーシューズを作らないか、というオファーをしたようです。

しかし、レブロンはその名誉あるオファーを

「まだ何も成し遂げていない」

と語って断りました。その年に発売された”Air Zoom Generation”はレブロンの実質的なシグニチャーシューズになりました。

2年目のシーズン以降からは”Zoom LeBron”シリーズを発売し、現在17作目となっています。

当時でのNIKEのシグニチャーシューズはマイケル・ジョーダンのジョーダンシリーズのみであったことからも、NIKEはレブロンに対して相当の期待を込めていたことがわかるでしょう。

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