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R.I.P NBAを世界的ブランドにしたデビットスターンについて語る

こんばんは。KDです。

明けましておめでとうございます。2020年皆さんはどのような一年にしていきたいですか?

自分は今年は10年分の成長ができるように突っ走っていきたいと思うので、よろしくお願いします。

さて、早速今日の話題に入らせていただきますが、残念なニュースをお知らせしなくてはなりません。

前NBAコミッショナー、デビッド・スターン氏が逝去

彼は12月に突然脳内出血を起こし、そこから中々回復することができず77歳の生涯を閉じることになりました。

彼は1984年からコミッショナーに就任し、NBAを世界的に認知されるのに貢献された人物です。彼の功績と彼の経歴について語っていきたいと思います。

元々は弁護士であったスターン氏

1966年にコロンビア大のロースクールを卒業したスターン氏は最初の仕事として、NBAの外部顧問になりました。そこから1976年まではNBAに法律面での助言を行なってい事で最初のNBAとの関わりでした。

1978年当時のコミッショナーであったラリー・オブライエン氏からNBAの法務部門にヘッドハンティングして、スターン氏は本格的に「NBAのデビッド・スターン」として参画することになったのです。

1980年に副社長の地位に

当時のNBAは薬物が蔓延しており、ダーティーなイメージをもたれていました。それによって、リーグが大きく人気を損ない、危機的状況に陥っていました。23チーム(当時)のうち17チームが赤字を抱えいたため、リーグとしての存続危機もあったそうです。

スターン氏がまず最初に取り入れたのが、薬物使用者に対する処遇を厳罰化したことでした。更生意志のあるもののみをNBAに残し、それ以外のものは追放するなどすることによってリーグのイメージ改善に努めてきました。

しかし、マジック・ジョンソンやラリー・バードのNBA入りが決まってからは華やかなスターが相次いで入団したことによって徐々に彼の努力が報われたのでありました。

コミッショナー就任とマイケル・ジョーダンのNBA入り

1984年にコミッショナーに就任したスターン氏は、この年のファイナルでセルティックスとレイカーズの因縁の対決がファイナルで実現して再びNBAが全米に注目されるきっかけになりました。

さらにマジックとバードは大学からのライバル関係をNBAでも継続していたため、世間の関心度がたかったそうです。

そしてその年のドラフトが史上最高の当たり年となり、マイケル・ジョーダンらが入団した年でもありました。

マジック、バード、ジョーダンが徐々に海外に認知されるようになり、NBAの人気も高まってきました。

90年代から日本にも放送がスタートし、海外にも認知される

徐々にリーグの人気が高まるにつれて、チーム数も拡大。シャーロット、ミネソタ、オーランドにそれぞれフランチャイズを設立してリーグの発展にさらに貢献しました。

ジョーダン率いるシカゴ・ブルズの3連覇とドリームチームによる1992年のバルセロナ五輪によってNBA人気がさらに高まりました。スラムダンクも出たのもこの時期だったような気がします。

少なからず、スラムダンクに大きな影響を及ぼしたこの時代のNBAは海外に対してさらなる認知度を高めるために、海外からの有望な選手を増やしていくのと同時に欧州などでプレシーズンを行うなど、リーグのさらなる発展に貢献した。初めてのジャパンゲームを行われたのもこの時期でした。

ついにアメリカ国外にフランチャイズチームが誕生

NBAの事務所をNY以外にもマイアミ、トロント、メキシコ、ロンドン、パリ、東京などの主要都市に事務所を開設することで、さらなる人気の拡大を図った。

そして、1995年についにアメリカ国外にNBAのチームが2チーム誕生しました。(カナダのトロント・ラプターズとバンクーバー→現メンフィス・グリズリーズ)

さらに翌年には女性版NBAの「WNBA」の発足を支援して、女性アスリートの活躍の場を提供しました。

独裁的であるが、辣腕ぶりを発揮して大きくNBAを発展させる

1999年には選手とオーナー側で交渉が決裂してロックアウトが発生し、この年は50試合に短縮された異例のシーズンとなりました。

2014年までの30年間でリーグの収益を5倍に上げて、ファンを60%の増加に繋げました。しかし、一部では独裁的な運営で批判を浴びることがありました。

・罰金の厳罰化

・ドレスコードの導入

・テクニカルファウルの厳罰化

・クリス・ポールのレイカーズ移籍差し止め

など、様々な施作を実行し、リーグの均衡化とイメージの向上に大きく貢献しました。

たくさんの選手から追悼の意が・・・

コービー・ブライアント

ダーク・ノビツキー

ビル・ラッセル

マジック・ジョンソン

マーク・キューバン

彼はスターン氏に多くの罰金を支払っていました。

シャキール・オニール

クリス・ポール

 

彼がいなければ、日本にNBAは認知されていなかった・・・

彼の貢献によってNBAが世界に知れ渡ることがなかっただろうし、彼がアダム・シルバーという最高の後継者を生み出したことによって更なるNBAの発展につながっています。

本当にお疲れさまでした。

R.I.P Devid Stern.

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