広告

快挙! NBA史上初の4つの年代でプレーしたビンス・カーター

こんばんは!KDです。

早速ですが、最近はNBAも徐々に盛り上がりつつある中で昨日ある大記録が生まれました。

ビンス・カーターが残した大記録

今シーズンで22シーズン目を迎えるビンス・カーターですが、1990年代、2000年代、2010年代、そして2020年代と4つの世代でプレーした唯一の選手になりました!

ただでさえ、22シーズンをプレーするだけでも大記録なのにこのような記録残すカーターも本当に凄いと思います。しかも、彼はチームのメンターとしてだけでなく戦力としてもプレーしているのと考えると末恐ろしい42歳であります・・・

しかも、カーターが生まれた年にはまだホークスのエースであるトレイ・ヤングはまだ生まれていません。

では、なぜ彼がここまで息の長い選手になれたのかを一緒に探っていきたいと思います。

1990年代

1998年のドラフトで5位指名でウォリアーズに指名されたカーターですが、大学のチームメイトであったアントワン・ジェイミソンとのドラフト当日でのトレードが成立してトロント・ラプターズでプレーすることになりました。

彼にとって寒いトロントでプレーは辛かったかもしれません。なぜならば彼はフロリダの出身なので、気候条件が彼にフィットしていなかったからです。

しかし、当時バスケット不毛の地であったトロントにバスケを熱狂させたのはカーターの存在なしでは語ることができなかったでしょう。

彼はラプターズ在籍中は、豪快なダンクを持ち味としており誰もが彼のために試合を見にいくと言っても過言ではないくらい彼の人気は凄まじいものがあったと記憶しています。

ルーキーシーズンからチームの得点源として新人王を受賞するなど、早くもチームのエースとして君臨することになったのです。

2000年代

圧倒的な身体能力と得点力を武器にラプターズをPOへと導いたカーターは2000年であの伝説のスラムダンクコンテストを披露しただけでなく、オールスターゲームのファン投票部門で最多得票数を獲得するなど人気のある選手として不動の地位を築き上げました。

しかし、2000年代はカーターにとってジェットコースターような年代であったと感じます。

悩まされ続けたケガ

彼は、ひざのケガを抱えており、2001−02シーズンで左膝を負傷。その影響でチームは何とかPOへ進出したものの、そこからカーターはケガをしがちな選手としてのレッテルを貼られてしまいます。

2002−03シーズンは43試合の出場に止まり、彼にとって不本意なシーズンとなりました。さらにラプターズも改革を必要としており、徐々にカーターに対する評価や存在感、チーム内での重要度が失われてきてしまいました。

また怪我の影響によって以前のようなエキサイティングなプレーも影を潜めて、メディアに対して「もうダンクはしない」というような発言をしたことも話題になりました。この時期のカーターモチベーションが低下している状態をプレーした結果、精彩を欠いた試合が目立ち徐々に彼からファンが離れていってしまいました。

復活を遂げたネッツ時代

チームに対してトレードを要求していたとされたカーターの行き先候補として、ニューヨークでのプレーを希望していたとされています。これに対してネッツがトレードのオファーをして、成立し彼はネッツで心機一転を図りました。

当時は最高のPGであったジェイソン・キッド、アスレチックな若手であったリチャード・ジェファーソンとBIG3を形成し、カーターは徐々に本来の動きを取り戻し、主にオフェンスでチームを牽引しました。

ネッツ時代は怪我もありましたが、コンスタントに平均20点を記録するなどチームに多くの貢献をしましたが、優勝までには至らず故郷のオーランドマジックへ移籍することになりました。

2010年代

故郷のフロリダ州に本拠地を置くマジックでプレーすることになったカーターですが、以前のアスレチックなプレーが失われただけでなく多くの外からのシュートを放つようにようになり、成績が低下。出場時間も低下していき、不本意なシーズンとなりました。

その後は、サンズ、マブス、グリズリーズ、キングス、ホークスとチームを転々としていきました。

体調管理を徹底して息の長い選手に

彼は晩年に差し掛かるにつれて体調管理を徹底したことによって、長くプレーできる選手に生まれ変わりました。過去は膝に怪我を抱えていた頃とは違ったアプローチで体調管理をしており、ケガを最小限に抑えたことによってここまで長くプレーできた要因であると考えます。

時代に応じて役割を変えていったカメレオン

彼がここまで長い期間プレーできている理由は、時代の流れに応じて自身のプレースタイルを変化させることができているからであると考えます。

1990年代はとにかく身体能力を生かしたスタイル

2000年代は自分で得点とクリエイトしていくスタイル

2010年代は外からのシュートを多く放っていくスタイル

と一言で言えばざっくりになってしまいますが、NBAの時代にしっかりアジャストできているからこそカーターは長くNBAにいることができているのではないでしょうか?

優勝よりも若手指導

ラストシーズンには古巣のラプターズに戻るのではないかという話があったものの、彼はアトランタ・ホークスと再契約をする決断をしました。

彼は、若手の後身育成に貢献したいと語っています。

現在のホークスはトレイ・ヤング、ジョン・コリンズ、ケビン・ハーターらの今後が楽しみな選手がたくさん在籍しています。現在チームとしての成績はよくはありませんが、今後はカーターが育成した選手たちが再びPOの常連として、エキサイティングな試合をしてくれることは間違い無いでしょう。

 

 

広告

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください